08

問い続けながら
これからも残っていく能を

宝生流第二十代宗家 宝生和英さん

六百年以上続く舞台芸術「能楽」二十代宗家には5人の師がいた

能楽五流派の一つである宝生流は、重厚な芸風が特徴と言われています。私は少し早く、22歳で家元を継承しました。18歳のときに父が倒れ、同時に5人の先生に習っていた時期があります。ある先生はこうおっしゃったが、他の先生は違うことを言うということもしょっちゅうでした。周囲からは大変だったねと言われるのですが、先生方のさまざまな言葉をそのまま鵜呑みにするのではなく、その指導の意図を読み取ることが必要だと学び、逆に多角的な指導を受けることができて幸運だったと考えています。
宝生流には私のように能楽の家に生まれた能楽師だけでなく、一般家庭から入ってくる能楽師が多くいます。とてもありがたいことで、おかげで切磋琢磨できる空気が生まれていることは私達の強みです。私の理念でもある「住する所なきを、まず花と知るべし。」という世阿弥の言葉のように、現状に安住するのではなく、新たな学びや出逢いを力にして変化していくことを宝生流として目指しています。

宝生流を象徴する雪持椿柄の唐織

能では、演目ごとに使われる装束が決まっています。これは紅地雪持椿模様唐織という装束で、宝生流にとって重要な演目である「道成寺」を演じる際に主役(シテ方)が身につけます。道成寺は10代の少女の悲恋の物語ですが、降った雪が椿に積もっている様子を表す模様は、少女の募る想いを描くのにふさわしい装束だと感じます。私は宝生流の宗家として道成寺の依頼を受けることが多くあります。一生で1度しか機会がないという能楽師も多い中、すでに10回以上務めさせていただいていますが、演じるたびに奥深さを感じます。役によって装束の付け方も異なり、本来道成寺では「壺折」という付け方をするのですが、今回は特別に女性の正装を表す「着流し」という付け方をしています。

能楽師自らが装束を付けることを学び、務める

能の場合、装束付けの専任者がいるのではなく、能楽師が自ら務めます。内弟子期間に身につける技術の一つです。装束付けは3人1組で行います。どのような体型の人でも美しく見えるように、お腹に布をあてて丸みを帯びたラインを作ったり、余った生地がもたつかないよう背中にひだを作るといった技術が必要になります。帯を締める時には「お締めします」と声を掛けて付ける人と付けられる人の息を合わせます。付けられる人も、ただ委ねるだけでなく、装束付けの動きに応じ、仕上げていきます。舞台に立つ前の緊張感も必要な工程ですが、私の場合はお弟子さんたちと軽く会話をしながら、緊張をほぐしていることも多いです。そのおかげで平常心で本番に臨むことができます。

能面の美しさをひきたてるかつら

かつらを付ける技術も能楽師全員が身につけます。はじめに髪を梳かします。椿油を髪全体に馴染ませるために細い櫛を使い、癖がついて絡まっていないか、冬は乾燥していないかと髪の状態に気を配りながら梳いていきます。そのかつらをかぶせ、ずれないように髪を押さえ、元結(もっとい)という和紙をよった紐で髪を結います。形を整えながら、長い演目でもゆるんでこないようにしっかり結う必要があるため、とても難しく、得手不得手はあるので、得意な人が担うことが多いです。能のかつらは歌舞伎のかつらのように髪型が完成した状態のものをかぶるのではなく、演者にかぶせてから結っていくので、髪の手触りや結いやすさがとても大事です。大島椿の椿油はさらさらと手触りがよく、毛流れをよくしてくれ、美しい艶も出してくれるので、宝生流では代々使っています。これらの手順を踏み、かつらが綺麗に付くことで、能面がより美しく見えます。ここで楽屋と舞台の間にある鏡の間に移動して、能面へ一礼し、顔に付けます。そして鏡を見ながら気持ちを整え、心の準備ができたところで舞台に上がります。

多様性を受け入れる懐の深い芸能

能は敷居が高い芸能のように思われていますが、実は誰でも習うことができ、幼稚園児から80歳の方まで一緒に稽古することができます。能のゆっくりとした重心移動や腹式呼吸を使った発声は、健康な体づくりにもつながります。また、能楽は男性のみの芸能だと思われがちですが、最近は女性能楽師も増えてきました。男性は筋力と声量的に優れ、一方で女性は繊細な芸風で世界観を表現することができます。能は、年齢も性別も関係なく、個々の人が持つ性質を活かして芸を育て楽しむことができる懐の深い芸能だと思います。能の演目は、激しい起承転結の無いものが多いため、話の展開に集中してしまうのではなく、役の心情に思いを巡らせながら観ることもできます。落ち込んでいる時はより悲しい演技に見えたり、気分がいい時には晴れやかに見えたりと、自身の精神状態を測るバロメーターにもなると考えています。多くの情報に囲まれる日常から離れ、能の醸す幽玄の世界の中で、自分の心に向き合うことができるのも能の魅力の一つではないでしょうか。

これからの時代に能を伝えていくために

能の魅力をもっと広く知っていただくために、最近では、能をテーマにした漫画を監修したり、声優の方に能を朗読していただく会を催したり、新しいことにも挑戦し、20〜30代の方々も観にきてくださるようになりました。今は国内外で日本文化にあらためて注目する風潮も高まっており、能にとって大切な時だと捉えています。新しく能を知る人も増えていく中で、変化を起こしながらも、問い続けたいのは、「能楽が本当にこのかたちであるべきか」ということです。別のかたちもあるのではないか、意固地になってしまっていないか、他の芸術ではなく能でないとできないことは何かというようなことをいつも考えています。そうやって正しい、当たり前とされているものも繰り返し問い続け、それでも、何度否定してもやっぱりこれだと自然に残るものが本物だと思います。これからもこの考え方を、長く続いてきた芸能に携わる一人として忘れずにいたいです。

宝生和英さん

宝生流二十代宗家。伝統的な公演に重きを置く一方、異流競演や復曲、異分野との共作などにも力を入れ精力的に活動の幅を広げる。サブカルチャーや経営・ビジネスへの知見も活かしながら、国内にとどまらず、海外においても、イタリア、香港、UAEを中心に文化交流事業を手がけ、能のこれからのあり方や可能性を問い続けている。


【公益社団法人宝生会】
〒113-0033 東京都文京区本郷1-5-9 TEL:03-3811-4843